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ドラクエの世界観の考察⑧ Ⅷ 空と海と大地と呪われし姫君

今回は久々に、ドラクエの世界観考察の記事を書こうと思います。

そもそも私はこれまで「ドラクエの世界観」を基盤としつつネットビジネス活動をしてきており、現にドラゴンクエストからくみ取ることができるメッセージを、様々な形で自分の活動に反映しています。

自ら考案した企画の名前に至ってはドラクエのアイテムの名称を組み込んだものにしている程なのですが、そんなドラクエの作品の中で、私が自身の活動の参考にしてきたのは“ドラクエⅠ~Ⅶまで”です。

それぞれの世界観考察の詳細については過去の記事を見てもらえればと思うのですが、一応ここでも簡単にまとめておきます。


■『ロトシリーズ』(Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)

・主人公=勇者=正義
・冒険のテーマは「悪である魔王の討伐」
・勇者である主人公が運命に従って自らの道を全うする


■『天空シリーズ』(Ⅳ・Ⅴ・Ⅵ)

・主人公≠勇者≠正義
・冒険のテーマは「自らの生き方の選択」
・各キャラクターが自由意思によって自らの道を見つけ出す


■ドラクエⅦ

・主人公≠勇者(天空シリーズ寄り)
・キリスト教やグノーシス主義などの特定の思想を鵜呑みにするのではなく、自分の内にある“信念”に従って行動することで、人はどんな人間にもなることができる(人は誰かになれる)



ドラクエⅦまでのストーリーからは、以上のようなメッセージを読み取ることができましたね。

そしてこの「ドラクエのストーリーから読み取ることができるものの考察」ということについては、私はこのⅦで一通り完結という形にしてあります。

つまり、現時点で「Ⅹ」まで発売されているドラクエの「Ⅷ・Ⅸ・Ⅹ」は、これまで当ブログの記事でも取り上げてこなかったということになります。


なぜ、8以降の作品は取り上げてこなかったのか…。


それは、ドラクエ8以降が私の活動に重要ではないからではありません。むしろ8以降の作品もメチャクチャ重要ではあります!

ただ、あくまで“ドラクエのストーリー”というものに着目した場合「大事なメッセージはⅦまでで十分」ということが言えると思います。そして、8以降の作品では“ストーリー以外の部分”において、非常に重要なメッセージが含まれているように感じるのです。

では、その“ストーリー以外の部分”とは何なのか?そして、そこにはどのようなメッセージが含まれているのか?

今回は「ドラクエ8」を取り上げ、この部分について深く考察していこうと思います。



ドラクエⅧ ~空と海と大地と呪われし姫君~

ドラクエ8

便宜上、初めに主人公が旅に出る経緯を簡単にまとめておきます。


主人公が家臣として仕えているトロデーン城という王国には「何か」が封印された杖が祀られていました。

ある夜、その城内に侵入してきた道化師ドルマゲスによってその杖は奪われ、国王のトロデとその娘のミーティア姫はその杖の呪いにかかって姿を変えられてしまったのです。これにより、なんとトロデ王は魔物の姿に、ミーティア姫は馬の姿になってしまいました。

そして杖を奪ったドルマゲスが杖のさらなる魔力を解放すると、トロデーン城全体が呪われ、イバラで覆われてしまいました。これにより、トロデ王とミーティア姫、そして家臣の主人公を除く城内の全員がイバラと化して動けぬ状態になってしまったのです。

杖の強力な魔力から逃れることのできた王・姫・主人公の三人は、王と姫の姿を変えた道化師・ドルマゲスを追うことを目指します。道中で主人公に命を助けられた山賊のヤンガスも交え、四人一同ドルマゲスの手がかりを探すための旅に出るのです。



実際の冒険は旅の道中で四人が休憩しているところから始まります。杖の魔力で城が呪われるシーンやヤンガスが主人公に助けられるシーンなどは旅を進めていく中で、後に回想として映し出されます。

この時点でドルマゲスが最後のボスではないということは誰にでも予想ができると思いますが、ただ「黒幕は実は杖に封印された暗黒神(ラプソーン)だった」というオチはそれなりに良かったと思います。

「ドルマゲスが杖を使っていたのではなく、杖そのものがドルマゲスを操っていた」という設定は、個人的には漫画『ダイの大冒険』のキルバーンとピロロとの関係を彷彿させるものでした。


「そう、ぼくが本当のキルバーン…」(←完全脱線)


そして、トロデ王とミーティア姫が杖の最大の魔力(呪い)から逃れることができたのは封印の間の結界に守られたからなのですが、城内にいて結界の中にいなかった主人公がなぜ、一人だけイバラと化すことがなかったのか・・・。

その秘密はかなり後(本編クリア後)になって明らかになります。



「ドラクエ8」の考察


ドラクエ8のタイトルは「空と海と大地と呪われし姫君」、
発売当時のキャッチコピーは「見渡す限りの世界がある」です。

この二つの言葉(特に赤字になった部分)から察しがつくように、ドラクエⅧは完全3Dでプレイができるようになった初の作品で「空・海・大地、見渡す限りに広がった世界を縦横無尽に動き回れることを体感して冒険を楽しんでもらう」ということをメインの狙いとしてつくられたものです。

言ってみれば“映像”を楽しむという点に重きを置いた作品であり、その分“ストーリー”については非常にシンプルな形になっています。
ドラクエⅧのストーリーには、これまでにはないような真新しさは見受けられません。


主人公は「トロデ王の家臣」
旅の目的は「ドルマゲスを追うこと」



旅の目的や悪の存在が初めから明確になっている、という点においてはどちらかと言えば『ロトシリーズ』に近い作品ということ言えそうです。『天空シリーズ』では、旅の明確な目的や誰が悪であるのかについては初期の段階ではよくわからないまま冒険がスタートしていました。

ただ『ロトシリーズ』では主人公は“王侯貴族”であったのに対し、このドラクエ8の主人公は“王の家臣”という身分になっています。主人公の設定は明確になってはいるものの“身分の低い者”という位置づけであり、これは従来のロトシリーズには見られない点です。
(裏設定では最終的に姫と結婚し、家臣が王子になることになります)


また、『ロトシリーズ』の作品では「王族などの限られた一部の英雄が、運命に従って自らの道を全うする」というメッセージを読み取ることができましたが、このドラクエ8では「定められた運命に意図的に抗う」ような描写が見られます。

具体的にはラスボスの魔神ラプソーンを倒した後、世界には平和が訪れ、ミーティア姫が王家の約束に従ってチャゴス王子と結婚する場面です。教会でその結婚式が行われることになるのですが、そこで主人公は教会に侵入し、なんとミーティア姫を連れ去ってしまうのです。

主人公のこの行為は「姫は王家の交わした古い約束に従って王子と結婚するのが定めである」という、王家に生まれた者の運命に牙をむいていることを意味します。


主人公は(裏設定を除いては)王家ではなく単なる護衛兵ですが、その主人公の行為に対して、姫の父親であるトロデ王も、

「大切なのは古い約束よりも、今こうして生きていること」

と発言をし、運命に抗ってまでも自分の意思で人生の選択をすることを賞賛する意を示すのです。

そう言った意味で「あらかじめ定められた運命に従う」のではなく「今生きている自分自身の選択に従って自らの生き方を構築していく」というこの点を見ると、このドラクエ8は『天空シリーズ』に近いということも言えるような気がします。


つまり、このドラクエ8のストーリーは「旅の目的や悪の存在を初めから明らかにしつつも、自分の生き方については自分自身で選択していく」という、これまでのロトと天空を融合させたような作品になっており、これまでにない新しいメッセージが含まれているわけではありません。

これまでにはないドラクエの世界を楽しんでもらうというよりも「これまでのドラクエの世界を、3D映像を通して楽しんでもらう」という思いが、ここには込められているのでしょう。


ドラクエ通の人にとっては、正直ここが賛否両論分かれるところだった思います。

特にドラクエ8を批判する人の中には、3Dによる映像を重視することでストーリー自体は逆にシンプルな形に落ち着いた、そのことに不満を感じた人も多かったようです。



本当の意味で「誰か」になるためには…


しかし、ここからは私の個人的見解ですが・・・(というかこれまでも十分個人的見解ですが笑)

私たちは、ドラクエのストーリーを通した重要なメッセージはもう十分受け取り学ぶことができました。


・「常識を疑い、既定の枠組みにとらわれないこと」

・「正義と悪の線引きが明確にできない相対的世界の中で自分自身が主役になれるステージを見つけ出し、理想の人生を自らの意思で形づくっていくこと」

・「自分の外にある特定の思想に従って行動するのではなく、自分の内にある心を外に向けて発信していくこと」

こういったことが重要なメッセージでした。

そしてこれらを学び取った後、私たちは何をするべきか?それは、実際に自分の内にあるものを外に向けて発信し、自分のステージを確立するという「行動に出る」ことです。

内なるものを外に向けて発信する、それはゲームというある意味でアングラな世界を飛び越え、外にいるリアルの人に届くように発信するということです。


ドラクエ8ではオフラインの枠を超えるということはないものの、3D映像によって自分の行動できる範囲が格段に広がりました。これまでの世界の幅に十分な広がりをもたせてくれたのです。

そして言うまでもなく、この広がりはさらなる拡大をもって次のドラクエ9に引き継がれます。

ドラクエ9ではプラットフォームを携帯ゲーム「DS」とすることで、外にいるリアルの人と「すれちがい通信」ができるようになりました。アングラな世界から一歩飛びだすことが可能になったのです。

さらに、次の作品のドラクエ10では完全にオンラインゲームとなり、さらなる世界の広がりを見せていることは誰の目にも明らかですね。


つまりドラクエ8以降の作品では、Ⅶまでで十分読み取り学ぶことができたメッセージを基に、アングラであったゲームの枠を少しずつでも飛び越え、自分の内なるものを外の世界に発信していくことの重要性を訴えているのではないでしょうか。


ドラクエ8はその序章という位置づけです。


ストーリーを通して学んだことを基に、今度はインフラを整え、外のリアルの世界に向けて自分の内にあるオリジナルの価値を生み出していく、それによって本当の意味で「誰かになれる」日が近づくのではないかと思います。


ということで、私も内なるものを外に向けて発信してみましょう。


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2 Responses to “ドラクエの世界観の考察⑧ Ⅷ 空と海と大地と呪われし姫君”

  1. あかし より:

    とりあえず 7と8、ちゃんとやろうね?
    7は海王の子孫だし、8は王家と龍神の血を引いてるサラブレッドな?

    • ピオリム より:

      もちろん知っていますよ。
      確かに7の「海王の息子」については記事では触れていませんね。ただ、ここの考察は「どういう設定で冒険がスタートするか」ということに軸に展開しているもので、最終的に判明することはそこまで重要ではないです。

      8についてはクリア後に王家の血が流れていると判明するからこそ、記事では「裏設定を除いては」ということわりを入れてあります。「裏設定では家臣が王子になる」とも書いてますよ。「家臣の設定だったものが王族だったと判明する」と書いた方がいいかもしれませんが。

      自分の理解はもちろん完璧ではないですが、とりあえず全体の文章(考察)の軸を見据えずいきなり上から目線で「ちゃんとやろうね?」と言ってくるような人よりは中身は把握していると思います。

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