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ドラクエの世界観の考察⑤ キリスト教とグノーシス思想

「ドラゴンクエストⅦ」のタイトルは“エデンの戦士たち”です。この“エデン”というのは、キリスト教の正典である「旧約聖書」の『創世記』に記されている楽園を指します(アダムとイブで有名な楽園ですね)。

そして、この「ドラクエⅦ」の世界観の多くが、キリスト教の聖書を元にしているのです。

そこで、今回は「ドラクエⅦ」の世界観を考える前に、その前提となるキリスト教の聖書の中に記されている話に触れていきます。

聖書に対する理解を深めることで、「ドラクエⅦ」がいかに知的な形で『天空シリーズ』の世界観を継承しているかがわかることになります。



キリスト教の正典『旧約聖書』

アダムとイブ

【アダムとイブ】


神はこの宇宙を創造し、その中にあるすべてのものを作った後「エデン」という地に苦しみのない楽園を作りました。そこには美しい木やおいしい実の成る木がたくさんありました。アダムとイブは神によってこの楽園に住むようになったのです。

そこで神は、アダムとイブに一つだけ忠告をしました。それは「あなたはこの園にあるすべて木の実を食べても良い。ただし、園の中央の善悪の知識の木の実だけは決して食べてはいけない」というものでした。

さて、エデンの園でしばらく幸せに暮らしていた二人ですが、ある時一匹の蛇がイブに話しかけてきました。そしてその蛇は、善悪の知識の木の実を食べるよう、イブをそそのかしたのです(当時の蛇は今とは違い、翼と足を持ち、炎を吐く生き物)。

イブは戸惑いながらも、食べることを禁止されていた「禁断の実」をもぎ取って口にしてしまいました。その後、イブはアダムにもその実を与え、拒みながらも結局アダムも「禁断の実」を食べてしまったのです。

すると二人は目が開かれ、自分たちが裸であることに気がつきました。裸であることが恥ずかしくなった二人は、自分たちの裸をイチジクの葉で隠したといいます。

やがて、アダムとイブが「禁断の実」を食べたことを知った神は、罪を犯した二人とそれを促した蛇に罰を与えました。

これにより、蛇はそれ以降、翼と足を奪われて腹這いの生物となって生きていくことを余儀なくされました。また、人間においては、女はこれ以降子を生む時に苦痛が伴うようになり、男は苦労して地を耕さなければ食料を得ることができなくなりました。

そして神は、人間が他の木の実をも食べることを恐れると、裸である二人に衣を与え、二人をエデンの園から追放したのです。


これは人類の起源における非常に有名な話ですね。

神の教えにそむいたアダムとイブはその子孫も含め、それ以降罪を償って生きていくことを余儀なくされたのです。「神の教えにそむいた者は必ず罰をあたえられる」そんな戒律を記した話です。


この話が記されている「旧約聖書」はキリスト教(及びユダヤ教)における正典となります。つまり、キリスト教においては、

「この世を創造した唯一の神」=善
「神の教えに背いた人間・蛇」=悪


という明確な図式が存在するのです。


しかし、世の中にはこの考えに相容れない思想も当然存在します。その中で今回取り上げるのが“グノーシス思想”というものです。そしてこの“グノーシス思想”というものも、「ドラクエⅦ」の世界観に大きく関わってくることになります。



グノーシス思想


“グノーシス”とは、ギリシャ語で「知識・認識」という意味です。グノーシス思想は大ざっぱに言えば「世界や自己を“認識”することによる救済」を目指す思想のことで、基本的には「この世界のものは全て悪である」と考えからはじまります。

この思想によれば、「悪である世界」も神が創造したことになりますから、この悪なる世界を創造した神は実は偽物であり、人間は心によってそれを“認識”することで救済される、という考え方になります。

そしてこれを「アダムとイブの話」に適用すると以下のようになります。


神は天地を創造したとされているが、実はこの世は悪であり、その神も偽物であり“下級神”である。

それ故「エデンの園」も偽りの楽園にすぎないのであり、人間はまず、このことを自らの心で“認識”する必要がある。

実はイブの前に現われた蛇こそ、イブに善悪の木の実を食べさせることでそれを“認識”させるきっかけを与えてくれたのであり、この蛇こそが“真の神”の遣いなのである


わかりますでしょうか?この考え方を思い切って単純化すると、

「この世を創造した唯一の神」=悪(偽物)
「神の教えに背いた人間・蛇」=善


という図式が成り立つことになり、先ほどのキリスト教の思想とは全く逆の考え方になります。グノーシス思想によれば、偽の神は、真の神を演じることで人間を支配していたことになるのです(このグノーシス思想における偽物の神(下級神)のことを「デーミウルゴス」といいます)。


このように、グノーシス思想は、キリスト教とは相容れない考え方なのです。やがてその特徴が目立つようになり、本来のキリスト教の思想が「キリスト教正統派」と言われるに対してグノーシス思想は「キリスト教異端派」と呼ばれるようになりました。

(※グノーシス思想は本来、キリスト教とは何の関係もありませんが、その特徴から事後的に「異端のキリスト教」と称されるのです)



ルシファーとサタン

ルシファー
また、旧約聖書の一書に「イザヤ書」というものがあります。その「イザヤ書」に記されている“ルシファー”という存在も「ドラクエⅦ」に関わってくるのでここで説明しておきましょう。

ルシファーとは「光をもたらす者」という意味であり、最高位に位置する天使であるとされています。いわゆる創造主である神に次ぐNo.2の存在です。

そして、キリスト教の解釈によれば…


このルシファーは神から最も寵愛を受けており、そのため「自分もいずれは神になり代わることができる」と傲慢になっていた。そして、その“傲慢さ”をもってやがて神の意思に逆らうようになったルシファーは、神の怒りをかって天から追放された。

とのことです。追放されたことを機に、ルシファーは神を憎むようになり「サタン」(悪魔)の姿となって神に敵対する存在となったのです。


つまり、ルシファーとは「本来は天使だったが、傲慢さ故に神に追放され悪魔になり代わった存在」のことを言います。これによると「ルシファー」=「サタン」ですね(※“傲慢”のことを、ラテン語では「オルゴ」と言います)。

ちなみに、本来天使には性別はない(両性具有)とする見解が一般的です。また、この「サタン」(悪魔)は蛇の形態をしているようです。このことから、アダムとイブに「禁断の実」を食べることを促した蛇こそがこのサタンである、とする説もあります。



まとめ


※以下では便宜上、本来のキリスト教の思想を「正統派」、グノーシス思想を「異端派」という言葉を使って説明します。

ここまでの情報をまとめると、以下のようになります。


■【キリスト教正統派の思想
「この世を創造した唯一の神」=善
「神の教えに背いた人間・蛇」=悪

■【キリスト教異端派の思想
「この世を創造した唯一の神」=悪(偽物)
「神の教えに背いた人間・蛇」=善

■「ルシファー」
・本来神に使える最高位の天使で、男女の区別はない。
・傲慢さ(オルゴ)ゆえに神に追放されサタンになった。
・サタン=「イブに木の実を食べることを促した蛇」かも。


これらの知識をもとに、「ドラクエⅦ」の世界観を考えると、そこに隠された重要なメッセージを読み取ることができます。


では、次回の記事では今回の情報をもとに「ドラクエⅦ」の世界観の高尚さを解説していきます。

子供の頃に「ドラクエⅦ」をやったことがある人は、次回の記事を読むことで、その頃には気付かなかった思いもよらない発見があると思います。


次の記事はこちら⇒「ドラクエの世界観の考察⑥ DQⅦ エデンの戦士たち

 

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One Response to “ドラクエの世界観の考察⑤ キリスト教とグノーシス思想”

  1. のこ より:

    ちょうど本日ドラクエ7をクリアしまして、気になっていたことが分かりやすく解説されていてありがたかったです!!

    ドラクエ5の「絵の中に入って過去に行く」くだりを主軸にしたものが6で、6からは自己という存在や時間の概念が確固たるものではなくなり非常にスピリチュアルな世界観が強くなりましたが、7は「人の弱さ・醜さ」を生々しく描いていて、大人になってからプレイしてよかったなぁと思いました。

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