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ドラゴンクエスト9のストーリーの謎の徹底考察 星空の守り人

さて、今回はドラゴンクエスト9について考察していきます。

考察とは言っても、作品から読み取れるメッセージについては前回(11月12日)の記事ですでに述べた通りです。

一応その内容をここで確認しておくと、ドラクエ8以降の作品では「シナリオ(中身)」よりも「映像やプラットフォーム(外枠)」が重視されており、重要なメッセージもそのプラットフォームの変遷に見出すことができました。


■【ドラクエ7まで】

・作品のストーリー(中身)に重要なメッセージが含まれる

何が正義で何が悪か、そんな問いに対する絶対的答えなどない相対的世界の中で、人は自分の自由意思に基づく選択によって自らの人生を形づくり、自分が活躍できる場所を見出すべき。そしてそのためには、常識(既定の枠組)を壊すことが必要。

もはや既存の思想や価値観は絶対的なものにはなりえない。すでに存在する外側の思想に自らをあてはめるのではなく、自分の内側にある心を外に向けて発信していくことで、人はあらゆる可能性に満ちた“誰か”になることができる。

※考察の経緯や詳細は2014年1月14日~20日の記事参照


■【ドラクエ8以降】

・プラットフォーム(外枠)の変遷に重要なメッセージが含まれる

「ドラクエ8では、3D映像を駆使することによって主人公が縦横無尽に動き回って冒険できることを可能にし、これまでのドラクエの世界に大きな広がりを見せた」

「そして9では、プラットフォームをDSとすることによってワイヤレス通信機能で他のプレイヤーとの交流を可能にし、ある意味アングラだったゲームの世界からリアルの世界へ一歩踏み出すという更なる世界の広がりを見せた」

「ドラクエ10では、オンラインゲームとすることによってネットを通して誰でも自分の冒険に参加することが可能になり、アングラだった世界から完全に解放されることになった」

このようにオフラインだったゲームの世界を徐々に飛び越え、外にいるリアルの人とのコミュニケーションをも可能にする。そうすることで「自分の内なるものを外に発信する」という重要なメッセージをリアルの世界で実現することができる。

そしてその時、人はリアルの世界でも新たな価値を生み出す「誰かになれる」可能性に一歩近づける。


他のユーザーとのコミュニケーションが直接可能になったのはドラクエ9からですが、そのドラクエ9の本編のストーリーは、前作に比べると異様に短いです。

この本編のシナリオの短さからは「ストーリー本編のエンディングを早めにむかえた後、ユーザーとのコミュニケーションを長く楽しんでほしい」という制作者側の意図が感じられます。

やはりこの作品は、他者と交流すること・つながることによって新たな価値を築き上げる重要性を訴えているように思います。


自分の内から生み出したオリジナルの価値を、他者との交流を通して世界に向けて発信していくことは、次作のドラゴンクエスト10のキャッチコピーでもある、

「人をつないで世界がつながる」

というものにもつながっていくわけです。


ということで、今回の記事は「ドラクエ9」についてなのですが、作品から読みとれる重要なメッセージはすでに明かしているのでここではこれまでとは少し違う視点で書いてみます。


「ドラクエ9のストーリーの謎に迫る」


今回はそんな切り口で考察してみようと思います。まずはいつも通り、主人公の冒険が始まる経緯だけ紹介しておきましょう。



ドラクエⅨ ~星空の守り人~

ドラクエ9

創造神グランゼニスはこの世のすべてを作ったとされる唯一の神です。人間も地上(人間界)もこのグランゼニスによって創造されましたが、グランゼニスはある時、自ら人間を作ったことを後悔しはじめました。

「人間たちはこの世にふさわしくない」「人間は失敗作だ!」

このように思ったグランゼニスは、自分が作った人間を、自らの手で滅ぼそうとしたのです。


しかしその人間を滅ぼそうとする行為を止めようとする者が現われます。それが、グランゼニスの娘・女神セレシアです。

セレシアは人間の心を信じ、人間をかばおうとします。そして「人間には清き心が残っている」ということを証明するために、セレシアは自分の身体を世界樹へと変えてしまったのです。

「世界樹となったこの身を元に戻すのは、人間の清き心だけ」

人間の清き心が集まることによってのみ、世界樹となったセレシアは元の姿に戻ることができます。つまり人間に邪心しかないのであれば、セレシアは一生元の姿に戻ることはできないのです。

それほどまでに人間を信じるセレシアの行為に免じ、グランゼニスは人間を滅ぼすことを(一旦は)やめます。そして天使と天使界を作り、その天使たちに「人間を見守り人間の清き心(星のオーラ)を集める」という役割を与えたのです。


こうして神によって作られた天使たちは、それぞれ自分が担当する村の「守護天使」となります。そして村人たちを見守りながら、その村人の清き心「星のオーラ」を集めることをつとめとするのですが、その天使のうちの一人がここでの主人公になります。


主人公のいる天使界では次のようなことが信じられていました。

「集めた「星のオーラ」を世界樹に捧げることで、やがてその樹には女神の果実が実る、そしてそれが実った時、神の国への道が開かれ天使たちは「天の箱舟」に乗って神の国へ行くことができる。これによって天使は永遠の救いが得られる…」

主人公はウォルロの村の守護天使として、師匠であるイザヤールという天使と共に「星のオーラ」を集めては世界樹にそれを捧げていきます。何度も捧げていくうちに、だんだんと世界樹は星のオーラの力で満ちて溢れ出しそうになってきます。


そんな今にも実を結びそうな世界樹に主人公がさらにオーラを捧げます。するとついに、金色に光る複数の果実が世界樹に実り出したのです。女神の果実が実ると同時に、空飛ぶ黄金の汽車のような「天の箱舟」が主人公たちの前に現われます。

「金色に実る果実・金色の走る箱舟…なんと、言い伝え通り…これで、われわれ天使は神の国に行くことができる…」

そんな幻想的な雰囲気に包まれた次の瞬間、なんと天使界はどこからかきた邪悪な閃光に襲われてしまいます。

この閃光に直撃した「天の箱舟」と実ったばかりの「女神の果実」は地上(人間界)に落ちてしまいます。さらにその強力な閃光の反動で、主人公を含む複数の天使までもが地上に落ちてしまうのです。


地上に落ち、背中の翼と頭の輪っかをなくした主人公は、自分の姿が人間に見えるようになってしまいました。翼と輪っかをもたないので見た目は完全に人間ですが、天使の一部の力は残っています。

そして地上で「天の箱舟の運転士」妖精サンディと出会った主人公は、天使界に戻るために地上に落ちた「7個の女神の果実」を探す冒険に出ることになるのです。



そして僕たちは天使と呼ばれていた


ということで、冒険が始まる経緯は以上のような感じになります。

実際のストーリーは、主人公とイザヤールが天使として星のオーラを集めるところからスタートします。グランゼニス王とセレシアの存在は、ストーリーを進めていく中で、後に回想場面として映し出されて明かされることになります。


ちなみに、旅の目的は「7個の女神の果実を集めること」ですが、これを聞いた瞬間に多くの人の頭に思い浮ぶのがあの漫画でしょう。


…そう、今やマンガ界の頂点に君臨すると言える「ドラゴンボール」

 悟空天使


あの漫画でも「7個のドラゴンボールを集める」ということが最初の冒険の軸になっていましたね。実はこの「ドラクエ9」は「ドラゴンボール」のストーリーと重なる部分が他にもいくつかあるんです。

一応簡単にまとめてみると以下のようになります。


●【ドラクエ9】

①七つの女神の果実を集めることが冒険の軸
②女神の果実を食べると願いが叶う
③すべてを作った創造神グランゼニスは、自らの闇を自分の心から切り離した
④ドラクエ9のキャッチコピーは「そして僕たちは天使と呼ばれていた」
⑤主人公が背中の翼を失って地上に落ちた後でも、主人公には天使がもつ不思議な力は残っていた


●【ドラゴンボール】

①7個のドラゴンボールを集めることが冒険の軸
②ドラゴンボールを7個集めると願いが叶う
③カリン塔の上にいる神様は、かつて邪悪な心(ピッコロ)を自分から切り離した
④ドラゴンボールのエンディングテーマに「僕たちは天使だった」という歌がある
⑤そのエンディングテーマには「背中の羽根はなくしたけれどまだ不思議な力残ってる」という歌詞がある


そしてイラストを担当しているのが両方鳥山明ということもあり、ドラクエ9で天使界が邪悪な閃光に襲われる際のイザヤールがどうしてもドラゴンボールの天津飯にしかみえないというww

まあ、他にも両者に共通する部分はいくつかあるかもしれませんが、この辺りは私の考察の中ではそれほど重要な部分ではありません。

重要なのは次です。



神や天使にも光と闇は存在する


ドラクエ9のストーリー本編のボスは、エルギオスという堕天使です。このエルギオスは、元々はイザヤールの師匠でもある上位の天使であり、「人間を信じ、正しく導くことこそが天使の本分である」と考え、当時は人間の清き心を強く信じていたのです。

しかし、ある時怪我を負って人間に姿が見えるようになってしまいます。そして自分がそれまで守っていたナザム村でのある事件をきっかけに、「人間に裏切られた」と誤解してしまうのです。そしてそれ以降、人間やそれを作った神に対して強い憎悪の念を抱くようになります。

「罪…存在そのものが罪なのだ…」

全てに対して強烈な憎しみをもったエルギオスの姿は悪魔に変わり、そして主人公たちのいる天使界に対して強烈な閃光を放ちます。天使界を襲った邪悪な閃光はこのエルギオスの仕業だったのです。


ということで「本来天使であった存在が堕天し、悪魔の姿に変わったエルギオス」これが本編最後のボスになるわけですが、この点はドラクエ7と重なるところがありますね。

ドラクエ7のボスはオルゴ・デミーラでしたが、これも『旧約聖書』のイザヤ書に出てくる堕天した悪魔「ルシファー」をモデルとしている可能性が高いということはすでに述べました。邪心によって自らが神になろうとしている点も見事に共通しています。

この辺り、ドラクエ7は「人間界を舞台とし、天使・悪魔の存在をそこに反映させている」、それに対してドラクエ9は「天使の存在する世界そのものをシナリオの舞台にしている」という点に違いがあるだけですね。

一人の天使にも「人間を信じる心=光」と「人間を憎む心=闇」の双方が存在していることになります。

これは先ほど取り上げたドラゴンボールの神様も同じですね。かつて地球に舞い降りた一人のナメック星人(後の神様)も、かつては光と闇、両方の心を持っていました。その後自らが地球の神様となるため、闇の心を自分から切り放したのです。


これを考えると、ドラクエ9の創造神グランゼニスの謎もわかってくるような気がします。


ドラクエ9では、主人公はグランゼニスの姿を見ることはできません。主人公が女神の果実を実らせ、神の国へと赴いたとき、そこにグランゼニスの姿はなかったのです。そこにあったのはエルギオスの放った閃光に襲われた形跡のみ。

「まさか神もエルギオスの閃光によってやられてしまったのでは…」

そう危惧した主人公たちに、女神セレシアは次のように話します。

「父グランゼニスが滅びたのなら、私もこの世界もとうに消え去っているはず。私にはわかります。神の国には居ませんが、父なる神は確かにおられます」

神の国から姿を消したグランゼニスは一体どこへ行ったのか…。それについては本編エンディングを迎えた後の「宝の地図の洞窟」で、新たに判明することがあります。

実はグランゼニスは、自らの闇の心を自分から切り放し、10個に分割したうえでそれを封印したというのです。その10の闇の心(部位)は、本編クリア後の宝の地図のボスとして主人公の前に立ちはだかることになります。

黒竜丸/ハヌマーン/スライムジェネラル/Sキラーマシン/イデアラゴン/ブラッドナイト/アトラス/怪力軍曹イボイノス/邪眼皇帝アウルート/魔剣神レパルド

以上がグランゼニスの闇の部分を反映したボスということになりますが、それぞれのボスの発言から、黒竜丸は「傲慢」、アウルートは「嫉妬」等それぞれグランゼニスの負の感情を反映していることがわかります。

この負の感情は、キリスト教における「七つの大罪」とある程度一致する部分があるようにも感じます。


以上のようなことを踏まえると、次のようなシナリオが成り立つのではないでしょうか。


グランゼニスは人間を失敗作と考え、一度は人間を滅ぼそうとしたが、その考えを抱いたことによって、結果的に自分の娘であるセレシアを世界樹の姿にしてしまった。そこでグランゼニスは自分を客観視し、以下のことに気づきます。

「自分には人間界を支配しようという傲慢な闇の心がある…」

この闇の心は神としてふさわしくないと思ったグランゼニスは、自らの闇の部分を自分の心から切り放してどこかに封印します。これによって、創造神グランゼニスは「光の神」と「闇の神」に二分割されることになるのです。

「闇の神」はどこかに封印されたことで、この時点で神の国に存在するのは邪心のない「光の神」です。

ところがある時、エルギオスの邪悪な閃光によって神の国は襲われてしまいます。その閃光に撃たれることで、光の神も消滅してしまいました。


セレシアの言うように神がいなくなればこの世界も消滅しますが、かつて封印された、邪心に満ちた「闇の神」がまだ存在しています。その「闇の神」の存在によって、この世界は生きているのです。

そして、この「闇の神」を倒すことを本編に組み込まなかったのは、闇の神をも倒してしまうと、神の存在が完全に消えてしまうため、セレシアの発言と辻褄が合わなくなるから…。

「悪なる神」の存在をエンディング後の裏設定で明らかにしたのには、このような理由があるのではないでしょうか。



…とまぁ、これ自体は妄想に近い単なる推測にすぎませんが、ストーリー上、神にも天使にも、光と闇は存在することは明らかです。

そしてここで重要なのは「神や天使が闇の心を抱いた背景には、人間の存在がある」ということです。

グランゼニスは、神の国から人間の振る舞いを見ることで傲慢な心を露わにするようになります。

エルギオスも、それまで見守っていた村の人間と深くと関わることで、(誤解ではありますが)全てに対して憎悪の念を抱くことになります。

そしてドラゴンボールの神様も、地球上の人間に影響を受けることで邪心をもつようになったと言われています(本来ナメック星人には邪心はありません)。


このようなことを踏まえると、人間というのは、それを作った神や見守っている天使をも悪の存在に変えてしまう、不思議な力を持った存在と言うことができますね。

形式上全てを支配することができるのは神ですが、その神の心は、実際は人間の行いに支配されてしまっているのかもしれません。



光と闇は表裏一体


ここで何度も登場している「光と闇」という言葉を取り上げた時、ドラクエ9で着目しなければいけないのは二匹のドラゴンですね。“光の竜グレイナル”と“闇の竜バルボロス”です。

光と闇の竜

光の竜グレイナル(左)が、宝の地図の最後のボスになるのですが、このグレイナルは闘う直前に次のような意味深な発言をしています。


「光のグレイナル、闇のバルボロス、そして聖なる心のアギロゴス…はるか昔、われらはひとつだった。神がおのれの闇を封印せしときバルボロスはほろび……弱りゆく光が私に年をとらせた。だが、聖なる心がこうしておまえをみちびき、闇と光とをよみがえらせてくれた。幽閉されていたアギロゴスのたましいも肉体へともどったのだ。いずれあの方も自由となるはず」


光の竜と闇の竜はもともと一つの存在だったことが述べられています。ちなみにアギロゴスというのは後に『テリワン3D』で出てくる竜ですが、ドラクエ9では、この言葉にしか登場しない存在です。


「神がおのれの闇を封印せし」というのは先ほど説明した通りですが、その後の「バルボロスはほろび」と「弱りゆく光が私に年をとらせた」というのがポイントです。

まず「バルボロスは滅び」というところは、創造神(グランゼニス)が自分の中の闇の心を封印すると、竜に存在していた闇の部分も滅んでしまったということです。

ストーリー上は、二匹の竜に関しては300年前に一度「光の竜グレイナルが、闇の竜バルボロスを倒した」ということになっているのですが、神に関しても「グランゼニスの光の心が悪の心を封印した」と解釈すれば、グランゼニスと竜は一心同体的な存在であると考えられます。


そして「弱りゆく光が私に年をとらせた」というのは「闇がなくなった為に光も弱まってしまった」ということですね。

少し考えればわかりますが、光が最も輝くときというのは、その背景に闇があるときです。闇なくして光は際立たず、光なくして闇は際立たない…。闇があるからこそ光は輝き、その逆もまたしかりなのです。

そう言った意味では「光と闇は対立する概念ではありながらも、それが存在する上では補完関係にある」ということが言えます。まさにパラドックスですね。


そうすると、神の国にいた「光の神」であるグランゼニスがエルギオスの邪悪な閃光にやられてしまったのも腑に落ちます。

本来であれば、すべてを創造する神の生命力をもってすればエルギオスの閃光にやられてしまうということはないはずですが、この時の神は自分の中にある「闇の心」を封印したことで、自らの中にある光自体も弱まってしまっていたのです。

弱まった光に対して強大な悪の閃光が襲いかかり、光の神はそれに耐えられず消滅することになってしまった、そう考えると納得がいきます。

※ちなみに、エルギオスの闇の力がそこまで強大になったのは、魔獣アルマトラの「竜の涙」という外的要因によるものです。この辺りは実際にプレイして確認してみて下さい。


すると、残る最後の謎は「聖なる心アギロゴス」になります。


このアギロゴスは、後の「テリワン3D」で観ると、明らかに顔が「ドラクエ9」に登場するアギロそっくりです。
アギロとアギロゴス

グレイナルの言葉を読み返すと、「幽閉されていたアギロゴスの魂も肉体へと戻った」とありますが、この「幽閉」というのは「牢に閉じ込める」という意味ですから、アギロが登場当初は牢屋の囚人であったという事実から考えても、アギロゴスというのがアギロのことであるのは間違いなさそうです。

そして「魂も肉体へ戻った」というのは、文意の論理を追うと「幽閉されていない状態になった」ということを意味するはずです。

「幽閉されていない状態になる」=「牢屋から脱出する」ことなので、「牢屋から脱出してアギロが戻った元いた場所」というのが「肉体」になるはずです。

ストーリー上、牢屋から脱出したアギロは天の箱舟の運転手に戻るので、おそらくここでは「肉体=天の箱舟」ということなのでしょう。

「このアギロ(聖なる心)が主人公を導き、闇と光が復活した」とグレイナルは述べていますが、これは先ほど指摘した通り、光と闇を生じる背景にあるものは「人間の存在」です。

ストーリー上、主人公が女神の果実を食べ、最終的には「天使から人間に転生する」ということを踏まえると、この部分もわかるような気がします。


ただ、賢い人の中にはここで疑問を抱く人がいるかもしれません。


「そもそも神と竜が一心同体で、竜が三体に別れたのであれば、神も三分割するはずなんじゃないの?」


このあたりは、実際私がドラクエのシナリオを書くときがくれば、面白い神秘的な結末を用意したいと思います(笑)



ということで、前回の記事で届いてなかったようなのでもう一度言っておきますね。


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