ドラゴンクエスト10のオンラインシステムに込められた新たなる挑戦
今回はドラクエⅩのオンラインシステムについて考えていきましょう。
ドラゴンクエストⅩでは、ネットにつないだ完全オンラインの世界でのマルチプレイがメインになりました。マルチプレイ自体は前作のⅨでも実践する場面はありますが、そこではあくまでサブ的な位置づけでしたが、それが完全にメインになったのはこのドラクエⅩからです。
ドラクエの場合、オフラインとオンラインでは何が違うのか?
これについてはいろんな捉え方ができると思います。現にドラクエがオンラインメインになったことについては賛否両論様々な意見が飛び交っているようですが、私自身は、両者の違いは次のように捉えています。
【オフライン】=自分一人で既存の世界を堪能する
【オンライン】=他者と共に新たな世界を創造する
これは一体どういう意味なのか、そしてオンラインになったことによってドラクエはどんな価値をもつのか…。今回は、オフラインの世界でこれまで学んできたメッセージも交え、このことについて考えていこうと思います。
【オフライン】既存の世界を堪能する
ここで言う「既存の世界」というのは「ストーリー自体が制作者によって既に完成されている」という意味です。
オフラインのドラクエでは、すでに出来上がった世界を冒険していきます。シリーズによっては冒険の自由度が高い時はあっても、町や城にいる人の会話や特定のダンジョンに出てくるモンスターなどは常に決まっています。
オフラインでは、そのような完成した世界での冒険を楽しんでいるのです。「完成された世界を与えられる」という点では、ある意味“受動的冒険”とも言えるかもしれません。
そして私たちはこれまで、その与えられたドラクエの世界を通した“受動的冒険”によって、実にさまざまなことを学んできました。その内容は当ブログの「ドラクエ世界観考察」記事にも載せた通りです。
・「自分が主役となれるステージを見つけ出すこと」
・「常識を見直し、既定の枠組みを壊すこと」
・「自分の内にあるものを外に向けて発信すること」
オフラインにおけるドラクエのストーリー(主にⅠ~Ⅶまで)は、上記のことの重要性を私たちに教えてくれたのです。
しかし、これらは「学んで終わり」ではあまり意味がありません。学んだことは、それを実際に行動に移してこそ、本当の意味で価値あるものとなります。この「行動に移す」ということこそが“能動的冒険”であり、それが形になってあらわれたのがドラクエⅩの完全オンラインの世界です。
【オンライン】新たな世界を創造する
冒頭でも言ったように、ドラクエ10では「完全オンラインの世界の中で他のプレイヤーとともに冒険していく」というマルチプレイがメインとなっています。
これにより、ドラクエは“能動的冒険”になりました。ストーリーは「製作者から与えられるもの」から「自分たちで作っていくもの」に変貌を遂げたのです。
・「仲間に誘ったプレイヤーと協力して強敵を倒した」
・「近くの見知らぬ人が自分の戦闘を応援してくれた」
・「あの場所でキラーパンサーに乗って移動しているプレイヤーをたまたま見て、羨ましく思った」
など、その時・その場所でたまたま起こった出来事が積み重なり、それが思い出となることで独自のストーリーが形成されていきます。
そこでの出来事は、他の誰一人として同じ経験をすることができません。他者と同じような経験をしたと思っても、経験した場所やそのタイミング、交流した人などは、他の人と完全に一致することはまずないでしょう。
その時・その場所で経験したことは自分だけの貴重な経験になるのです。オンラインの世界を通して自分だけが経験できたこと、その出来事が自分のオリジナルのストーリーを構成することになります。
他のプレイヤーと共に自分だけのストーリーを新たに創造していく…。このドラクエⅩはまさに、「RPGは既存の世界を一人で堪能するもの」という常識を覆したものなのです。
それが多くのプレイヤーの期待に沿ったものであるかどうかは別にして「50~60時間かけてクリアするまでのストーリーを一人で堪能する」という、それまでの形ではなくなりました。
ドラクエが教えてくれた重要なメッセージの一つであった「常識を見直し、既定の枠組みを壊す」ということを、進化の過程でドラクエ自身が体現したということが言えるでしょう。
ドラクエは変わってほしくなかった?
この完全オンラインゲームとなったドラクエⅩに関して、プレイヤーからは賛否両論さまざまな意見が飛び交っているようです。
どちらかといえば否定的意見の方が目立っている印象を受けるのですが、プレイヤーの否定的な意見としては、
「ドラクエⅩはドラクエではない」
「オンラインではなくオフラインにしてほしい」
「ストーリーが充実していないのが残念」
といったものが圧倒的に多いようです。
つまり、「ドラクエは変わってほしくなかった」という嘆きの声を発してプレイを十分楽しめていない人が多いということです。
しかし、十分に楽しめていないという場合の原因の多くは「そのコンテンツの乏しさ」にあるのではなく「それをプレイする側の知識の乏しさや偏った視点」にあります。
例えばドラクエⅦやⅨをプレイする場合であれば、キリスト教の聖書の知識をもっているのといないのとでは、ストーリー自体を楽しめるかどうかもだいぶ変わってきます。
ⅦやⅨでは、聖書の知識があることでスト-リーがより深く理解でき、その知識がない人には味わえない楽しみ方ができるようになるのです。さらにその知識を基に、様々な視点からストーリーを考察することができるようにもなります。
また、ドラクエⅢをプレイする場合であれば、それ以前にドラクエⅠ・ⅡをプレイしているかどうかによってⅢのエンディングでの感動できる度合いも変わってきます。
ドラクエⅢのエンディングにおける、あの最高の感動は、ドラクエⅠ・Ⅱをプレイした経験の上に成り立っているのであり、その経験なしではⅢのエンディングの感動は半減してしまいます(Ⅲをよく知っている人であればこれはわかりますよね)。
このように、前提知識や経験がなければその面白さを堪能できないことがあります。また、前提となる知識があっても偏った見方しかできないのであれば、その面白さや感動に気づくことすら難しいこともあります。
一つのものを楽しむにあたっては、特定の知識・経験や柔軟な視点が必要になるのです。
したがって(これは何においても重要なことだと思うのですが)、あるものに対して「つまらない」「残念」「以前の方がよかった」などの否定的意見をもった場合、次のことを疑ってみてはどうでしょうか?
自分が否定的な感情を抱いてしまったその原因は、
「自分が無知なことにあるのではないか」
「気づくべきことに気づいていないだけではないか」
「偏った視点でみた結果であり、別の解釈もできるのではないか」
ということを。
これをドラクエⅩにあてはめるのであれば、オンラインでプレイすることに否定的な印象をもったという人は、自分が次のことに該当しないかどうか考えてみてはどうでしょうか?
「“RPGは与えられた世界を一人で冒険していくもの”という常識にとらわれて既存の枠から抜け出せないだけではないか」
「オフラインのドラクエの世界を通した重要なメッセージを自分が見落としていることに原因があるのではないか」
「新たなものを創造して進化を続けるドラクエに対して、既存のものを批判するだけの自分が進化できていないというだけなのではないか」
ということを…。
出てきたものを否定的に捉えるよりも、それを通して新たなものを創造していこうという視点をもった方が、結果的に楽しむことができますし、それによって自分も進化できます。既存のものを批判的するのは簡単ですが、余りそこに価値はないのです。
実際にドラクエⅩをプレイした人の中には「敵を倒すだけではレベルを上げていくのやお金を集めるのが困難」「ダンジョンの宝箱で武器が手に入るというわくわく感がない」といった点を億劫に感じたり嘆いたりしている人もいるようですが、本来“冒険”というものは予定調和にはならないものです。
予定調和に落ち着かないものに対して楽しめるような視点を自分自身で開発していけるかどうか、そこが鍵になります。
そしてそれぞれが自分自身で楽しみ方を開発し、独自のストーリーを“能動的”に作っていく過程で、主役としての自分が確立されます。
“受動的冒険”から“能動的冒険”に変貌を遂げたドラクエは、もしかしたら「国民的RPG」の在り方にまで革新を与え、新たな伝説を作ろうとしているのかもしれません。
そのように進化を遂げ、新たなものを生み出すことに挑戦し続けるドラクエには、私たちの人生で大事な「何か」があると思います。
私は一応殆どのドラクエシリーズ、
長年オンラインゲームもやっています。
そんな私の個人的な感想としては、
ドラクエとしてはボリュームに欠け、
オンラインゲームとしては、低品質としか言えません。
キャラクターなどの描画モデルは問題はないと思いますが、
DQのシステムモデルの組み合わせは酷すぎるように思います。
ネチケットすら守れない人も多くなっている以上、
コミュニティとしても混沌としていきます。
確かに比較的まともな人たちといることが叶えば、
オンラインゲームは極めて楽しい時間が得られます。
その状態ならばドラクエというブランド力は強みになるでしょう。
その世界に介在しているという実感があるのですから、
ドラクエの世界にいる分、楽しさは増すでしょう。
またブランド単位の印象とする場合、
1つのタイトルの良し悪しでもブランドへの印象に影響します。
そして、オンラインゲームとはいえ、
それはドラクエの世界での出来事であり、
運営が管理できないといっているユーザーの質に関しても、
ドラクエブランドに対しての評価になるため、
ブランドそのものへの打撃を抑えたいという前提があるとするのであれば、
運営がユーザーの質が管理できない、もしくは管理したくない以上、
ゲーム内ではユーザーコミニティを最小限に抑える必要がでてくることになります。
これは、ランダムマッチはもっての他であるということも意味しています。