「幸せ」について

「幸せ」とは何か、について。


もちろん、「幸せ」の定義は人によって異なることは言うまでもありませんが、私個人の考えを述べるのであれば、

お金が自由に使えること(経済的な自由)
時間が自由に使えること(時間的な自由)
人間関係に恵まれていること(人間関係の充実)

の三点は最低限必要かと思います。


あくまで「最低限」です。この三つがそろっていれば絶対に幸せというわけでもないと思います。この三点は、幸せになることの必要条件ではあるが、十分条件ではないということです。

※ちなみに前回の記事で載せた「体験価値」というのは、私の中では優先順位としてこの三つの下に位置づけられます。まずは最低限、上記三つが必要でしょう。


これは完全に主観ですが、言われてみれば多くの人もそのように感じてくれるのではないでしょうか。

いくらお金があっても、仕事で忙しくて自由に使える時間がないのであれば、それは幸せとは言い難いでしょうし、お金も時間も自由に使えても、友達がほとんどいない生活であれば、それは刺激のないつまらない生活になってしまうでしょう。

幸せには「経済的自由」「時間的自由」「人間関係の充実」が最低限必要なのです。


しかし、実際にこの三つの条件を満たしている人は少ないのではないでしょうか。ほとんどの人は、この三つの中で一つあるいは二つだけを充たしていることに満足し、何かを犠牲にしている事に目を背け「自分は幸せだ」と言い聞かせていないでしょうか。


たとえば、仕事が忙しく、家族と共に過ごせる時間が少ない時、

「自分は仕事で成果を上げて家族を養っている。家族を養えるだけの収入も得ているし仕事も充実している。会社の中でも複数の部下から敬われていて幸せだ」

と言う人がいたとします。その場合この人は本当に幸せでしょうか。


いくら収入を得ていて会社の人間関係に充実していても、忙しくて家族と共に過ごせる時間がないという点で、もしかしたら家族は不満に思っているかもしれません。家族が不満に思っているのであれば、「自分が幸せ」などということは到底言えないですよね。

当時の私も「人間関係」という面ではそこそこ充実していたかもしれません。しかし、仕事以外の「時間」や満足いく「お金」は得ていなかったように思います。今思うと、当時はそれでも仕事にやりがいを感じていたので、自分は現状で十分だと錯覚していた部分があったのでしょう。

このように将来の「お金」と「時間」を意識した時、塾講師の仕事について改めて考えさせられたのです。


今、生徒にとって為になることをして自分もやりがいを感じているが、将来、上記の三点において自分のためになるとは限らない。

自分の将来のことを考え、自由な「時間」と「お金」を得て、様々な「体験価値」を享受することで一層自分の視野がひろがる。そうすれば今以上に人の役に立つものを語ることができる。

それならば、自分のレベルを高め、時間的にも経済的にも余裕ができてから、思いきり人のためにやりがいのある事をすればいい!自分の世界観を変え、普通ではありえないような体験をしてこそ、人に対してもより価値の高いものを提供できる。


そのように考えるようになったことが、私が塾講師から(一旦)身を引こうと思った理由です。

あなたも考えてみて下さい。今の仕事をずっとしていていずれは「時間的自由」と「経済的自由」と「人間関係の充実」の全てが手に入るでしょうか。何かを犠牲にして、一つのものだけを得てはいないでしょうか?


職業というものはこれら三つを大きく左右するのです。


人によっては、「私は時間的自由なんかいらない」という人もいるかもしれません。しかしこの三つを併せ持つことで、自分の時間に余裕ができ、その時間を使ってまた新しい価値・より質の高い価値を提供して人の役に立てるのであれば、それに越したことはないと思います。社会的にもプラスの価値が生まれるのですから。

そこで、私は「経済的な自由」「時間的な自由」「人間関係の充実」の三つを得るために、まず初めに何をすべきか、と考えました。

そして考えた結果、ひとつの結論に達しました。


それは…「個人でインターネット駆使して発信すること」


なぜ「インターネット」なのか・・・。その理由を説明するには、「大学進学という選択肢」について併せて考えなければいけません。

「大学受験指導をしてきた自分」を見つめなおしてみると、「大学進学という選択肢」についても自然と考えさせられます。


⇒大学進学という選択肢について

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