⇒動画&プレゼントはこちら

 

正義なんてのは立場によって形を変える

青キジ

正義なんてのは立場によって形を変える


この言葉を聞いたことはありますか?
漫画『ワンピース』に出てくるキャラクター、海軍大将の青キジ・クザンの言葉です。

この言葉、私もまさにその通りだと思います。「何が正義か」といった問いに、答えなんてものはありません。今の時代、答えを探そうとするような発想自体が間違っているのかもしれません。

今回はこれについて具体例を挙げて考えてみましょう。



忠臣蔵を例に・・・


たとえば、歌舞伎や人形浄瑠璃でおなじみの『忠臣蔵』。この物語の中身をご存知でしょうか。江戸時代中期に起きた仇討ち事件「赤穂事件」をもとして作ったストーリーです。この物語をものすごく単純化して整理すると、次のようになります。

まず、事件の発端は次の二人の人物のやりとり。
「24歳の若者・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)」
「61歳の老人・吉良上野介(きらこうずけのすけ)」
※吉良さんは浅野内匠頭の儀礼作法における先生です。


●浅野くんは、儀礼の作法を教えてもらえるはずの吉良先生からあまりよく思われていません。その理由は諸説ありますが、とりあえず嫌われている浅野君は、吉良さんから執拗な意地悪・いじめを受けます。
「先生~!いじめないでよ~!」


●そんないじめでストレスがたまってきた浅野君には、吉良に対する恨みがどんどん積りつもってきます。そしてとうとう我慢しかねてキレた浅野君は刀を抜き、吉良さんを背後から斬りつけてしまいます。
「先生…、いいかげんにしろーーーーー!」


●幸い、吉良さんは軽傷で済みましたが、この事件を知った政府は黙っていません。「なんとけしからんことだ!」ということで、浅野君に即日切腹を命じ、浅野君は死んでしまいました。一方、事件のきっかけを作った吉良さんは何のお咎めもなしでした。


●これに反発した浅野君の仲間47人は言いました。
「喧嘩は両成敗だ!内匠頭が切腹を命じられたのに吉良だけが処罰を免れるのはおかしい!」


●そして浅野君の仲間47人は復讐を誓います。
「内匠頭が死んだ原因を作った吉良を殺してやろう」
そして長い時間をかけて吉良さんへの復讐の計画を立てるのです。その計画期間はなんと一年間!(計画が漏れないよう一年間もネチネチネチネチ…)


●そして一年後の12月14日の夜も明けない時間帯、浅野君の47人の仲間は吉良邸へと討ち入ります。
「吉良、覚悟ーーーーーーーーー!」


●そして47人の仲間は吉良さんを殺害を果たし、一年間練った復讐計画は見事成功したのでした。


●その後、この47人は復讐事件で起こした罪に対する処罰を潔く受け入れ、切腹などを命じられるのです。



交錯するそれぞれの正義


さて、このストーリーについて、あなたならどこに正義を見出しますか?もちろん、どこに見出しても正解・不正解という領域には入りません。そもそも正解なんてないですね。

このストーリーは、

「47人の赤穂浪士が仲間(浅野内匠頭)の仇討として後に死刑になる覚悟をしてまで吉良に立ち向かう姿がすばらしい!仲間を思い団結して復讐するのが正義だ!」

という見方もあれば、

「もともと切り付けてきたのは浅野側だ。なんで吉良は切り付けられた上にさらに一年後、襲いかかられなきゃいけないんよ。そもそも吉良は法によってお咎めなしという裁断がなされたのだから吉良は社会的に正義でしょ?何も悪いことしていない!一方、浅野側は初めに殺人未遂を犯した上に、一年後は殺人を犯してるじゃん!それこそ悪だ!」

という見方もあるでしょう。


もちろん他にもいろんな角度から見ることができます。

一応上の二つだけを整理すると前者は「法律を守ること」≠「正義」という考えであり、後者は「法律を守ること」=「正義」という考えが基盤になっています。


前者の立場に関していえば、吉良邸に押し入って復讐を果たした47人の行動は、法的観点からみれば「殺人罪や住居侵入罪」が適用されますが、彼らにとってそんなことはどうでもいいのです。

47人の赤穂浪士にとっては「仲間のために戦うこと」=「正義」であり、「法律を守ること」と「正義」とは別次元にあります。

「仲間のために戦う」ことに、社会が決めた「犯罪」が伴っていたというだけのこと。この場合、47人にとって正義と犯罪は両立し得ているのです。


このように、「正しいか正しくないか」「正義か悪か」は立場や視点によって異なります。よく議論になるような問題には、絶対的に正しい答えなんておそらくありません。



正しい答えを指すことからの脱却


では、ここでビジネス的視点に切り替えてみましょう。

今後、正しさ・正確さを強調した情報の価値は薄くなってきます。もちろん、言葉の辞書的意味など、答えがある問題もあります。ただし、そのようなものは今の時代、インターネットで誰でもすぐに調べることができます。

誰でもすぐに調べられるということはそこには希少性はなく、結局それ自体の価値は非常に薄いということになります。

従って、今の時代は答えのある情報を発信したところでその情報にはほとんど価値はありません。そして今後は答え探しを重視するような発想から抜け出すべきでしょう。


繰り返しになりますが、答えなんてないのですから…。


したがって今後は「正しいかどうか」ではなく「面白い・楽しいと感じるかどうか」が価値を生み出す基準になります。

ツイッターやフェイスブックを見ればわかりますが、リツイートされたり、シェアされてどんどん拡散していくものってどんなものですか?

ほとんどが面白いつぶやきやユニークな投稿ですね。今の時代は「この人の視点・考え方は面白い!」と思ってもらうことこそが重要なのです。

「この人の言うことは正しい」= 価値小
「この人の視点はおもしろい」= 価値大


今の時代、正しさ・正確さを突き詰めた「答え至上主義」は淘汰(とうた)されます。今後、価値のある情報とは「独自の視点でとらえた面白いと思ってもらえる情報です」(ということで、この意見も正しいかどうかはわかりません笑)


まあ、独断と偏見に満ちている視点・見解がいいですね。そのためには、さまざまなことを体験するのがいいでしょう。

立場によって正義が変わるのであれば、その人の立場にたった体験することでいろんな正義を実感できます。様々な事を体験し、視点を増やして価値ある情報を発信していきましょう。



P.S.

ちなみに『ワンピース』では黒ひげ・ティーチも「正義と悪」について同じようなことを言っています。

「やめときな 正義だ悪だと口にするのは!!!この世のどこを探しても 答えはねェだろ!くだらねェ!!!」

 

第19回e-Book大賞優秀賞を受賞しました

 

⇒今すぐ無料で読んでみる

 

あわせて読みたい関連記事

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ