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ドラクエの世界観の考察② DQⅣ 導かれし者たち

前回の記事では、ドラクエの『ロトシリーズ』の世界観に触れました。

そこでは「主人公=勇者=王の血を受け継ぐもの」という前提で、旅の目的に関しては「魔王を倒す」ということが初めから明確になっていました。

つまり、「特定の限られた人間が、世界を救う英雄となる」といった考えが、このシリーズに反映されていたと考えることができます。



しかし、この後の『天空シリーズ』ではその概念が崩れ去り、全く別の新たな世界観が打ち立てられるのです。

では、『天空シリーズ』は具体的にどのような世界観なのか?今回はこの『天空シリーズ』の第一作「ドラクエⅣ」について、ストーリーを確認しながらその世界観を説明しましょう。



ドラゴンクエストⅣ ~導かれし者たち~

ドラクエ4
※全体が5つの章に分けられ、各章ごとに特定のキャラクターにスポットがあてられます。第1章~第4章で主役となったそれぞれのキャラクターが、第5章での主人公である勇者のもとに集結することになります。


【第一章】ライアン ~王宮の戦士たち~


バトランド王国の王は、王宮戦士たちにある事件の解決を命じます。その事件とは「イムル村で相次いで起こっている子供の失踪事件」王宮戦士の一人・ライアンはその事件を解決すべく調査に乗り出します。

結局、子供たちの失踪は、魔物たちの仕業であることが発覚!魔物たちは、将来自分たちを脅かす存在になるであろう勇者を、子供のうちに始末しておこうという狙いでさらっていたのでした。

ライアンは魔物を倒し、子供たちを救出します。そしてライアンはその後も魔物が狙っている子供を護ろうと、一人旅に出るのです。



【第二章】アリーナ・クリフト・ブライ ~おてんば姫の冒険~


サントハイム王国の姫・アリーナは「腕試しの冒険に出たい」と父である国王に申し出ますが、却下されて城の外に出ることを許してもらえません。それでも何とか旅に出たいと思うアリーナはある日、父の目を盗んで城を抜け出すことに成功したのです。

アリーナの身を心配した、城の神官クリフトと魔法使いブライがアリーナにお供し、三人で旅に出ることになります。三人は旅の中でさまざまな事件を解決していきました。

そしてエンドール王国へ赴いた際、アリーナはそこでの武術大会に出場することになります。その大会で決勝戦まで進み、さらに決勝の相手・デスピサロが姿を消したため、アリーナは武術大会で見事優勝を手にすることができました。

しかし、その後サントハイム城に戻ると、なんと父を含めた全ての忽然と姿を消していたのです。みんなどこへ行ったのか…。

人々が城の人々の失踪の謎を解くため、アリーナたちは再び旅に出ることになるのです。



【第三章】トルネコ ~武器屋トルネコ~


武器屋で働くトルネコが、世界一の武器商人になることを目指し、故郷を離れお金稼ぎの旅に出ます。

商人たちが憧れる「鉄の金庫」を手に入れた後、ボンモール国の王子・リックとエンドール国の姫・モニカの結婚を取りもつことで、両国の間に起ころうとしていた戦争を止めることに成功します。

その褒美としてエンドールに出店することが許されたトルネコ。やがて、「天空の剣」という至宝の噂を耳にし、その剣を探すために船を手に入れて世界中を旅したいと考えます。

そして資金を集めブランカの洞窟を開通させ、洞窟を抜けるとトルネコの新たな旅が始まるのです。



【第四章】マーニャ・ミネア ~モンバーバラの姉妹~


踊り子マーニャと占い師ミネアの姉妹には、錬金術師の父親エドガンがいました。しかしある日、エドガンは弟子のバルザックに殺され、「進化の秘法」という研究を奪われてしまいます。

娘のマーニャとミネアは、父エドガンの敵を討つため、エドガンの一番弟子のオーリンとともに旅に出ることになります。

旅を続ける中で「キングレオ城の王が錬金術の実験をしているらしい」との噂を聞いた三人は、早速キングレオ城へ向かいます。城の中で大臣だけが知っているという王の隠し部屋に潜入すると、そこいたのはバルザック。バルザックは「進化の秘法」によって怪物に変身し、三人に襲いかかります。

三人はバルザックとの戦闘に勝利すると、今度は魔物の姿をしたキングレオ王が現れます。このキングレオ王によって、三人は牢屋に入れられてしまうのです。

牢屋の中には前キングレオ王も監獄されていました。前キングレオ王からエンドール行き定期船の乗船券をもらった三人は脱獄を試みるも、途中で城の兵士たちに見つかってしまいます。オーリンはマーニャとミネアを逃がすため、一人で兵士たちに挑みます。

なんとか船に乗ったマーニャとミネアはオーリンの期待に応えるべく、そして父の敵を討つべく、エンドールへと旅立つことになるのです。



【第五章】主人公 ~導かれし者たち~


勇者はブランカの北の山奥の村で暮らしていましたが、ある日その村がデスピサロ率いる魔物の軍団に壊滅させられてしまいました。村の中でただ一人生き残った勇者は一人旅に出ることになります。

エンドールでマーニャとミネアに出会った勇者は、ミネアの占いより「魔物に立ち向かうために導かれた仲間は8人」ということを知ります。そして、勇者は残りの5人の仲間を探す旅に出るのです。

トルネコ・アリーナ・クリフト・ブライ・ライアンを仲間にし、8人全員を集結させた勇者は、まず現キングレオ王を倒し、マーニャ・ミネアの目的を果たします。さらにその後、サントハイム城にいるバルザックを倒します(しかし、サントハイム城の人々はいまだ姿を消したまま…)

その後、「すべてそろえた者は竜の神と謁見できる」といわれる天空の武器防具の伝説を聞いた勇者たちは、それらを探す旅を始めます(その旅の途中で、なぜデスピサロが人間を憎むのか、その理由を含む悲しい事実も明らかになります)。

やがてすべての天空の武器防具を手に入れた勇者は天空城へ行き、竜の神・マスタードラゴンに出会います。そこでマスタードラゴンはデスピサロと「進化の秘法」を葬るよう、勇者たちを激励します。

勇者たちは地底に降り、デスピサロの城を守る四体の魔物を倒し、さらにデスピサロを撃破。「進化の秘法」は葬られ、ついに世界に平和がおとずれることになるのです。




「ドラクエⅣ」の考察


最終的な主人公は「勇者」ですが、それ以前の章ではそれぞれの仲間たちもフォーカスされており、各キャラクターに深みが増しているのが特徴です。

ライアンは「戦士」、ミネアは「占い師」、トルネコは「商人」です。「勇者」以外の人物にも、旅をする具体的な背景があり、それぞれが独自のストーリーを持っています。

それらの人物は、第5章では主役ではなくても、他の場面では主役になりうるのです。これが『ロトシリーズ』と完全に違うところであり「主人公=勇者」という図式はここから崩れ始めます。


「どんな脇役でも、他の場面においては主役になり得る」


それを体現しだしたのがこの「ドラクエⅣ」ではないでしょうか?

事実、SFCでのちに「トルネコの大冒険」というゲームが発売されます。戦闘の場面においてはどちらかといえば目立つ存在ではなかったトルネコも、このように別の場面で主役になることができたのです。

自分の活躍できる・主役となれるステージを見つけ出すことが重要である…、今思うと「ドラクエⅣ」からはそんなメッセージを感じとれます。


また、この「ドラクエⅣ」では敵であるデスピサロの心理・境遇にも触れています。その境遇を知った時点で「いったい何が正義で何が悪なのか?」ということを考えさせられた人もいるかもしれません。

主人公たちの立場からすれば「デスピサロ=悪」という図式でしたが、人間に恋人を殺されたデスピサロにとっては「人間=悪」なのです。

それぞれの立場によって「正義/悪」の位置づけは変わってくる。

この「ドラクエⅣ」は、見方に柔軟性を持たせる重要性も教えてくれています。


このように見ると、漫画『ワンピース』のストーリーは、この「ドラクエⅣ」に似ている部分があるのではないでしょうか?

『ワンピース』では、主人公のルフィ以外も、キャラの濃い仲間がいます。キャラが濃く感じる一つの理由として、作品の中で各キャラクターの過去の回想場面があるということが挙げられます。

・ゾロであれば「世界一の剣豪になることを死んだ幼なじみに誓ったこと」
・ナミであれば「アーロン一味にひどい目にあわされたこと」
・チョッパーであれば「ヒルルクの死を胸に世界一の医者になるのを誓ったこと」

このように、それぞれ独自のスト-リーを持っているから、各キャラクターにも一層魅力が増してくるのです。


また、ニコ・ロビンの過去の回想シーンで青キジがいったセリフを覚えていますか?

「正義なんてのは立場によって形を変える」

これは、先ほど述べた「正義/悪」の関係と完全に一致するものです。

ドラクエもワンピースも、私にとっては学びを多く得られる教材です。「ゲームだから・漫画だから」と言って軽視していたのでは、自分は進化しませんからね。


次の記事(天空シリーズ第二弾の考察)はこちら⇒「ドラクエの世界観の考察③ DQⅤ 天空の花嫁

 

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One Response to “ドラクエの世界観の考察② DQⅣ 導かれし者たち”

  1. Noname より:

    ストーリーの考察をされている動画を閲覧して興味を惹かれました。

    ピサロ側と、勇者側で相対的に見て、悪の意味が変わるという動画を挙げられているのを見たのですが、この部分には明確な間違いがあるように思います。

    他者に死を与えられることを嫌い、
    元凶のみを倒そうとしたのが勇者であり、
    恋人を傷つけられることを嫌い、
    元凶となる可能性そのものを滅ぼそうとしたのがピサロ。
    これらは初動の感情としての共通点は多いですが、
    その後の行動方針だけが全く違っています。

    ピサロの持つ人に対する価値感が、全ての人を一緒くたにしたために起きた悲劇の一種であり、ありようによっては全く別の展開もあったように思います。PS版の裏ボスが、ラスボスになった可能性もあるでしょう。

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